事故を起こした後、やすし師匠は「決してわざわざ事故しようと思ってしよう思ってやったのと違うので、ひとつ宜しくお願い致します。」と記者会見で話したそうですが、所属する吉本興業さんからは既に前回の不祥事の際、「次に不祥事を起こした際は即刻、専属契約を解除する」と最後通告を受けていました。
契約解除を通告したのは事故から9日後。
夫人と会社を訪れたやすし師匠は最初詰め寄ったそうですが、もはや検討の余地さえ残されておりませんでした。
思えば…今の世の中、というよりも、漫才、芸能の世界だからこそ、しかも孤高の天才漫才師だったから許されて来た裁定だった訳ですが、さすがにここまで反省するどころか同様の事故を繰り返してしまったとならば、、、もはやさすがのやすし師匠であってももはや許される道は残されていなかったのです。
結果、漫才師“横山やすし・西川きよし”は事実上のコンビ解消状態となってしまいました。
漫才という仕事は1人では出来ません、加えてコンビでありながら結局1人と1人なんです。
天才漫才師の名を欲しいままにしたやすし師匠、しかしながらやすし師匠が活動を自粛する間に“小さなことをコツコツ”頑張ったきよし師匠がメキメキ頭角を現し、その立場が逆転してしまったにも関わらず…やすし師匠はそのことを受け入れることが出来ず、そのままの考えで居たということなのかもしれません。
現実はさすがに甘くなく、仕事のなくなったやすし師匠を支えるべく、奥様は甲斐甲斐しくパートをしながら支えたんだそうです。
やすし師匠の復帰はやはり茨の道でした。
1992年に芸能界に復帰した、やすし師匠の舞台は…役者業。
映画、Vシネマと続けて出演し、活路を見出そうとしたが…次に選んだ道はまさかの職業だったのです。
2024年3月28日