その後、横山やすし・西川きよしの漫才は破竹の快進撃を繰り広げます!
1967年に新人賞に輝いたわずか3年後、結成4年目にして早くも『上方漫才大賞』の大賞を受賞。
その後あらゆる漫才の賞レースを総なめにして行くのです。
何と言っても芸風が唯一無二の“両ボケ両ツッコミ”スタイル。
昨今、笑い飯のお二人が同じく“両ボケ両ツッコミ”のスタイルで『M-1グランプリ』のチャンピオンに輝きましたが…その40年前に一世を風靡する“やすきよ漫才”を確立したのでした。
爆笑につぐ爆笑で何が台本で何がアドリブかも分からない程に自由奔放なスタイル、それはまさに“伝説の漫才師”に相応しいものでした。
漫才という世界は先人の芸を学び、盗みながら唯一無二の芸を作り上げるものですが、まさにその唯一無二、不世出のコンビ…まさに“不世出”の漫才師と言って良いのです。
そしてその“やすきよ”をさらに神格化させる要素となったのが…横山やすし師匠のプライベートにおける破天荒なエピソードの数々。
それはもう枚挙に暇がない程の、まだ幼かった私でさえ記憶に残っている程でしたから…それはもう相当に世間を騒がせ続けたことは間違いないところ。
そしてまたそのやすし師匠が世間を騒がせる度に、やすし師匠の芸人としての個性・面白さはどんどん強固になって行くというねじれ現象。
相方であるきよし師匠やマネジメントである吉本興業さんのご苦労もまた想像に難くないところではありますが、視聴者的には大きな魅力の1つとなっていたんじゃないかと思います。
今のように人のゴシップでお金を稼ぐような週刊誌が過剰な存在感を示すような時代に生まれていたら、少なくともやすし師匠のような芸人はこの世に生まれることなく抹殺されていたことは間違いありません。
2024年3月22日