優しいで言えば…この師匠のことも忘れちゃいけません、新山ひでや・やすこ師匠のことも紹介させて下さい。
そもそもは新山ひでや師匠が1971年より“新山ひでや・えつや”というコンビで活動していたところから話は始まります。
1992年にひでや師匠の相方であった(お会いしたことはありませんが)えつや師匠が病に倒れ活動休止。
その後の活動を奥様であったやすこ師匠が務める形で“新山ひでや・やすこ”師匠はスタートしたのでした。
これは先述の東京太・ゆめ子師匠にも言えることですが…兼ねてから志して芸人になるのとは訳が違う、その女性の強さには本当に感服させられるばかり。
そうは簡単に務められる仕事ではないと思います、故にかなりの覚悟を以て演芸の世界に入られたのではないかと思うのです。
いつも本当に仲良くて、その一方でちょっとカカア天下な感じが何とも微笑ましくて♪
舞台でのやりとりも夫婦漫才の大御所“宮川大助・花子”師匠のようなまくしたてる感じではなく、何処か朴訥とした空気が何とも和やかな気持ちにさせられる、お人柄が透けて見える素敵な漫才でした。
2019年にひでや師匠が亡くなられたことにより、やすこ師匠も漫才師として活動に幕を下ろされました。
そのことから見ても…やすこ師匠はご主人であるひでや師匠のために漫才を続けて来たことがよく分かります。
とにかくお二方とも優しい方で、東京メトロ銀座線の田原町(浅草の次の駅で東洋館に向かう芸人の中にはこの駅を使う人も多い)の駅前に焼きそば屋さんがあって、「食べたい時は私の名前で食べて行ってイーからね♪」なんてお心遣いのある言葉も頂きました。
お言葉に甘えるべきだったのかもしれませんが…その後“ひでや師匠のツケで”そのお店に立ち寄ることは出来ませんでした。
遠慮せず立ち寄った方が喜んで下さったのかもしれませんが…。
その後、その焼きそば屋さんもお店を閉めてしまわれました。
思い出のある場所が無くなっていくのはやはり寂しいですね。。。
2023年12月3日