そんな実績充分の東京丸・京平師匠。
その後京丸師匠が体調を壊され、活動を休止した時期があり…洋丸師匠の体調が良くなれて活動再開。
私がご一緒させて頂くようになったのは、その復帰後間もない頃でした。
京丸師匠は私の顔を見る度「どう?もう売れそうでしょ!」と声を掛けて下さり、Wコロンの出番と近い時は毎回漏れなく早めに舞台袖に降りて来られて、そのステージの様子をチェックして下さってました。
そして出番を終えて戻って来ると必ず「イーねぇ、売れそうだねぇ」と満面の笑みで出迎えてくれました。
受けがそうでもない時でも「イーよぉ!今日も売れそうだねぇ」と来るもんですから、そんな時は〔適当だなぁ〕なんて思ったりもしましたが。
実際、ようやくテレビに出られるようになった時にはとても喜んでくれて、「俺も見る目は確かなんだからぁ。ね、売れたじゃない!」なんて調子でいつもとても喜んでくれました。
私がピンでレポーターをさせて頂いたNHKの『ゆうどきネットワーク』という番組もちゃんとチェックしてくれて「木曽ちゃんイーよぉ!ピンでも行けるじゃない!」「一人でもどんどんやって行った方がイーよぉ」とまた褒めて下さる!
今思い返せば…本当に周りの人を漏れなく笑顔にする方でした。
そしてその善き相棒として、絶妙な匙加減で乗ったり突っ込んだりを駆使した京平師匠。
そんな東京丸・京平師匠に対する私の接し方も、あの独演会を境に少しずつ変わって行ったように思います。
出会った当初は先述の通り“見る度違う”“刺激的な”“浅草らしくない師匠”。
そんなある種異質なスタイルだった東京丸・京平師匠を直ぐに“面白い漫才師”だと思ったし、タイミングがあった時は必ず袖から見させて頂きましたし、笑わせて頂きました♪
ただその観る時の心構えは…言わばお客さんとさほど変わらないもので、敢えて言うならせいぜい京平師匠と同じ立ち位置から見つつ心の中で突っ込む程度。
“観てて突っ込む”なんて普通にお客さんもやってらっしゃることですからね…そこには同業の先輩に対する“盗む”“学ぶ”という姿勢は無かったように思います。
2023年07月29日