『昨日より今日はもっと×2!素敵』 BLOG(イケてる大人計画)

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【木曽さんちゅうは“ぷちビッグダディ”】第2414回『師匠と私』第三章“昭和こいる師匠”㊽死と向き合う

コロナ禍になり、様々なことに制限が設けられるようになってしまいました。

 

マスクの着用、手洗いうがい手指の消毒、外出の制限、入場の制限…枚挙に暇がありません。

そんな中、非常に難しい判断を迫られたのが…“お通夜・告別式”。

あの志村けんさんや岡江久美子さんといった著名な方でさえ、ごく最小限の規模でしか執り行うことが出来ませんでした。

私にはまだ、死と向き合うまでの考えに至っていないので…いざ自分の“死”と直面した時の気持ちを推し量ることは出来ません。

“盛大に見送って欲しい”のか“死んだら何でもイーよ”なのか…ここは人によって様々かと思いますが、一方の遺された者の立場で言えば、やはりお世話になった人であれば「しっかり最後までお見送りしたい」と思うのですが如何でしょうか?

 

こいる師匠が亡くなる少し前ですが…私は父を亡くしました。

小学生の頃から単身赴任でほとんど顔を合わすこともなく、それは大学を卒業して芸人になるべく上京してからも変わらず。

連絡をとらないどころか、帰宅した父と私は大喧嘩。

今よりうんと気性の荒かった私は…台所から持ち出した包丁を父に突き立てたこともありました。

父から見た私は、生意気で面倒なヤツだったと思います。

勿論今では反省していますし、今は勿論、そんなことをすることはありませんが…ある種の自己承認欲求だったんだと思います。

それが母が体調を崩したタイミングで否応なしに連絡を取り合うようになりました。

 

その後私は結婚、子宝にも恵まれ、次第に家庭を守ることで手一杯になり、再び父と連絡を取る機会は少なくなってしまってました。

 

そんな折、突如父が勤めていた会社から連絡があり、倒れて病院に救急搬送されていることを聞かされました。

 

病名は…胃がん、ステージ4。

 

いずれ訪れることであることは分っていた筈なのに…私は酷く焦りました。

 

目先のことで手一杯で、本来であれば孫である私の4人の息子との関わりの時間を作ったり、私自身もっと高齢になって来ていた父と向き合う機会を作るべきだったと。

 

私の家族は本当に快く、私の父と向き合う時間を作ってくれました。

 

私の家族と共に居る時の父は、私と二人きりの時とは明らかに違い、明らかに活力に溢れていました。

孫である私の4人の息子と冗談を言い合ったり、野球をやっている長男とキャッチボールをしたり…普段は歩くのも大変だった父が、その昔自身も甲子園を目指して野球に明け暮れていた時期があったことも手伝い…そんな話を長男にしたり。

私はそんな光景を見ながら〔このままずっとこんな関係が続けばイーな〕とのんびり思ったものでした。

 

しかしながら、がんはそんなほのぼのとした情景を見守ってくれる程優しい病気ではありません…父は帰らぬ人となってしまいました。。。

 

お通夜と告別式、私は喪主として出来る限りのことはしてあげたいと思いました。