浅草東洋館の出番を頂き、浅草へ出向く。
それが何処か習慣化しつつある中での独演会、おぼん・こぼん師匠からの洗礼。
この洗礼は確実に私の中で考え方に変化が生まれるようになりました。
例えば…東京丸・京平師匠という方々がいらっしゃいました。
京丸師匠が2021年1月に74歳でお亡くなりになられ、“東京丸・京平”というコンビはその歴史に幕を下ろしました。
私はこの東京丸・京平師匠の舞台が大好きでした。
独特なテンポで喋る京丸師匠、しかも思い付いたことを何でも喋ってしまう(…と言いつつ、人を不快にするようなことは決して言わない)ような、正直ツッコミ泣かせの漫才師さんでした。
ネタが押すことも日常茶飯事、これは演芸場の不文律で言うと…噺家さんが高座で押したり巻いたりした時に、漫才師は時間を定刻に合わせるという役割を担っているので…それだけでもかなり型破りなスタイルだった訳です。
で、皆さんはその京丸師匠のエキセントリックな芸風に目が行きがちなんですが…私はむしろ京平師匠のツッコミをいつも袖で観て勉強させて貰ってました。
京丸師匠が好き放題やってても決して引っ張れず、常に冷静にその様子を見ていらっしゃいました。
だからって抑揚がない訳ではなく、京丸師匠に引きずられない程度に合わせて突っ込む、その落ち着いた芸風が大好きだったんです。
そして…突発的な出来事にもちゃんと的確な言葉選びで突っ込む、その柔軟性。
正直なところを言いますと、漫才協会に出入りするようになって最初に衝撃を受けたことがあって、それは…“いつ見ても同じネタをやっている漫才師”が沢山居たこと。
若手ライブでは月に1本新しいネタを作り、それをライブでおろして仕上げて行くというルーティンが当たり前になっていて、だから番組や営業以外は基本常に新しいネタをやることが当たり前になっていました。
だからこそ、漫才協会での“いつも同じネタ”という当たり前は大きなショックでした。
ところが…京丸・京平師匠はその“当たり前”がない、とても刺激的な漫才師さんだったのです。
2023年07月27日