午前中から…春風ふくた師匠のYouTubeチャンネルの収録♪
お借りしているスタジオは、このブログをご一読頂いている方々的にはお馴染み?新橋配信スタジオespace天さん。
私が近年、漫才協会の師匠方がご出演頂けるような場を作るようになったのには、大きなキッカケがあります。
それは…私の父の死。
私の父は胃がんで亡くなったんですが、世代がちょうど漫才協会の師匠方と同じくらいで。
元気だった父とは私が仕事で忙しいこともあり、滅多に会う機会はありませんでした。
一方の父も退職する年齢になった後も、会社から延長で雇用して貰い、元気に働いておりました。
何処か父が元気であることが当たり前になっていました。
しかしながら、そんなことは決してなく…ある日見慣れない番号から電話があり、出るとその電話の先は父の勤め先の方からでした。
父が仕事中倒れたという報告でした。
その日の私のスケジュールは全く覚えていないのですが、とにかく暑い夏の日でした。
急いで搬送された病院に向かい、その病院の先生から聞かされた病名は…“胃がん”だと。
ステージは3、しかもかなり進行している状況であること、そしてそのまま搬送された病院に入院するか、父が住む茨城県の病院にするかを訊かれました。
全ては急、心の準備が全く出来ていない状態で思いつく限りのネガティヴな情報を浴びせられました。
父に聞くと、少し前から胃が痛むことがあったようで、そんな時は好きな酒を控え、休むようにしていたと。
「まぁ、仕事が出来へん痛みやなかったからなぁ」
私が少しでも父のことを意識し、気に掛ける気持ちがあったならば…もっと早期に見つけてあげることが出来たんじゃないかと。
一方の父は病院を勧めても…固辞していたと思いますが。。。
それからの父はみるみる弱って行きました。
食欲がなくなり、歩くのもままならない状態になり、それでも父は何とかして職場に復帰しようと懸命に生きました。
一方の息子である私は…少しでも活力を取り戻して欲しいと、会う機会を増やしたり、私の家族と会う機会を増やすようにしました。
私自身家族を養うために働かなければならない訳ですが…その合間があれば極力車で実家に出向き、可能な時は家族を連れて一緒に食事をしたり、長男の野球の試合を観戦させたり。
私の妻や孫と会っている時の父は明らかに元気でした。
「もっと孫と遊びたい」と口にするようになり、父自身が高校球児だったこともあり、長男とキャッチボールをしたり、次男とサッカーしたり、三男、四男と遊具で遊んだり♪
【続く】