漫才師には悲しきさだめみたいなものがあって。
これは私自身は色々な意味で深く考え尽くした話でもあるんですが…ニコイチでこそ商品になる職業で。
今でこそニコイチでこその価値観から、コンビであっても個でも活躍出来る時代になりましたが…“師匠”と呼ばれるお立場の漫才師の時代は、殆どの方がニコイチでこそのスタンスで活動し続けて来られていました。
漫才協会の師匠方を傍で見てて、つくづく思うんですんが…ずっと漫才でやって来られた師匠方がご高齢になり、どんな漫才師であっても必ず訪れる…“相方との別れ”。
どんな状況であっても、いつかは来る運命。
またお一人が亡くなられると…後を追うように間を開けず亡くなられることが多いのもまた漫才師ではよくある話で。
どれだけお二人の仲が悪くても、それとこれはまた違ってて…何処かで一蓮托生的なところもお有りだったんだろうなぁ、なんて思うのです。
皮肉ですよね。。。
一方の先立たれた相方である師匠のその後もまた大変で。
ずっとニコイチでやって来た芸が突如無に帰してしまう…2人だから出来て来た漫才が出来なくなってしまうのです。
どなたも心のどこかで理解されてらっしゃった筈なんですが、それでも現実に直面しないと何処か現実味を感じてらっしゃらなくて、いざ一人になったら〔どうしよう?〕みたいなところもあるんじゃないでしょうか?
お一人になられて、そこから改めてゼロイチを作って行く…とてつもなく大変なことだ思うのです。
いざそうなった時に、何か拠り所となるものを持っていらっしゃるか否か?これが大事だと思うんです。
春風ふくた師匠には“拠り所”がありました。
相方であるこうた師匠が亡くられてから直ぐに、いや実はこうた師匠が療養中の時から既にふくた師匠は東洋館のステージにお一人で立たれていました。