大瀬ゆめじ師匠の訃報の話について、先日妻と話をする機会がありました。
私が漫才協会に籍を置くようになって、今年で20年目になります。
近年、お亡くなりになられる師匠が増えて来て、その訃報を知る度本当に寂しい気持ちにさせられます。
そりゃあそうですよね…その当時50歳だった師匠は70歳になる訳です、勿論中には亡くなられる方がいらっしゃるのも(寂しいですが)当然のこと。
ホームランさんという先輩コンビがいらっしゃいます。
そのホームランさんも…メンバーのお一人・勘太郎さん2021年の9月にお亡くなりになられました。
65歳だったそうです。
私が漫才協会に入会した時、勘太郎さんは当時45歳、“師匠”といった距離感は感じませんでしたが、随分な先輩に感じていて、当時はやはり私自身遠慮というか“楽しく話す”というよりは気遣いの方が先立ってしまう感じでした。
そんな勘太郎さんと楽しく話させて頂けるようになったのは…慣例である“楽屋の挨拶回り”。
御挨拶に伺うと、勘太郎さんは必ず無茶ぶりをしてくれるようになりました。
たとえ楽屋であっても必ず反応してしまう私、本番前なのにしっかりひと絡み勘太郎さんと作って本番に向かうのが楽しくて♪
そのうち勘太郎さんは私のことは「木曽ー!」と呼び捨てしてくれるようになりました♪
結果数回だけですが、呑みもご一緒させて頂くようになりました。
サッパリしてて男っぽい、思ったことはハッキリと仰る方で、その一方で(いかついビジュアルに反して??)気遣いもあるとても優しい兄貴的な存在でした。
そんな大好きな勘太郎さん、晩年は足の調子が悪かったようで…杖をついて東洋館にいらっしゃるようになり、楽屋にあがるのも大変そうな時もありました。
その後長期療養、そしてお亡くなりになってしまったのです。
65歳…誰が見ても若いですよね。
しかも大柄で身体も頑丈そうに見える勘太郎さんが…出会った当初、65歳なんて若いお歳でお亡くなりになられるなんて、誰が想像出たでしょうか?
私が65歳で生涯を終えると仮定したら…人生、残り12年しかありません。
人生の6分の5は終わってしまっていることになります。
時間は有限です、やれる時にやれることを目一杯やっていたって何処まで出来るかはまさに神のみぞ知るところ。
少々気が早いかもしれませんが、晩節を汚すことなく、しっかり思い残すことなく走り切ること…これが私の残りの人生の最大の目標となっています。
2023年12月7日