『昨日より今日はもっと×2!素敵』 BLOG(イケてる大人計画)

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【木曽さんちゅうは“ぷちビッグダディ”】第2411回『師匠と私』第三章“昭和こいる師匠”㊺訃報

翌日の準備で大変でしょうし、体調が芳しくないこいる師匠がお休みになってしまっていたら…ご家族に迷惑になってしまうかもしれないし、このコロナの時期に不躾にお宅に押し掛けることも失礼にあたるかもしれない、そもそもご家族とは面識がないということもあり…私は伺うのを止めてしまいました。

 

多少不快に思わせてしまったとしても…押し掛けるべきだった。。。


 
2年続けて新型コロナに振り回された2021年も終わりとなる、12月31日大晦日。
 
私は早起きして、いつものようにパソコンでブログを更新しておりました。
 
ふと息抜き、ネットニュースをチェックしていて…目を疑うニュースが飛び込んで来ました。

 

それは…昭和こいる師匠ご逝去のニュースでした。

 

“頭の中が真っ白”という表現がありますが、まさにその表現が当てはまる…もう悲しいともショックともつかない、敢えて言うなら風船のように膨らんでいる私の心に針を刺されてパンッ!と割れてしまったような…喜怒哀楽のどれも当てはまらない感情でした。
 
この記事によると、こいる師匠の最期のお仕事なったのは11月28日。
 
“「最後の力を振り絞った。最後の漫才だろう」とこぼしていた”とあるのですが、1つだけ言うなら…こいる師匠はこの時のステージを“漫才”とは絶対に仰っていない筈。
 
何故なら晩年のこいる師匠の口癖は「漫才がやりたい」でしたから…“漫才”は2人でやるもので、こいる師匠がお一人で立たれたのを指して“漫才”とは絶対に仰られない筈なんです。
 
まぁ、この期に及んで記事にケチをつけるつもりはありません…“死力を尽くした”ステージであったことは間違いないだろうから。
 
ここ数年、がんとの闘いの中ステージに立たれていることは知っていましたし、だからこそ分不相応を承知でお声掛けし『ザイマン演芸会』という会を主催し、「漫才がやりたい」と仰るこいる師匠のお気持ちを少しでも叶えることが出来たら、と思った訳だし、体調が良くなったり悪くなったり、そんなこいる師匠の様子を傍で見ていて“いつか来る別れ”に対し、自分自身覚悟を決めていた筈なのに…それでもやっぱり言いたいことは“あまりにも急過ぎる”。
 
私はやり場のない気持ちを誰かにぶつけたくて…ある方にLINEをしました。

その方とは…おぼん・こぼんのこぼん師匠。

こいる師匠、こぼん師匠は…私が呑みの席でご一緒する回数の多い方をベスト3に入るお二人(もうお一人は青空球児師匠)。

大晦日に電話するのも失礼だと思い、心の赴くままにLINEしたのでした。。。

 

 
私は心がパンッと割れてしまったような気持ちになりました。
 
来年こそはいっぱい漫才やりましょう、と約束したばかりなのに。
 
電話の声はあんなに元気だったのに。
 
こいる師匠が亡くなったなんてネットで知らされても、そんなの直ぐに受け入れられる訳ないじゃないか。
 

直ぐに返信を頂きました。
 
こぼん師匠は12月30日の夜、球児師匠からの電話でこいる師匠が亡くなられたことを知ったんだそうです。
 
毎年12月30日は漫才協会のメンバーの殆どが浅草演芸ホールに出演する年末恒例の興行があります。
 
毎年出番を終えたメンバーが声を掛け合い、三々五々に忘年会をやるところまでがセット。
 
昨年もこぼん師匠、球児師匠といった方々で…徳仙というお店で打ち上げをしたんだそうです。
その日、すなわち亡くなられる12月30日に…こいる師匠から球児師匠に電話があったそうで、その時話したこいる師匠の声はお元気そうだったそうです。
 
漫才協会から届いた、こいる師匠ご逝去を知らせるメールによると…亡くなられたのは20時。
 
こいる師匠は…漫才協会のメンバーが一堂に会する会、そして球児師匠やこぼん師匠の打ち上げを見届けるかのように旅立たれました。
 
こぼん師匠は加えて…球児師匠とこいる師匠の奥様の電話のやりとりを教えて下さいました。

 

2023年09月13日