丁度この頃、私の活動はWコロンを2004年2月に結成した直後。
基本無名の芸人同士がコンビを組んでも、何か状況が変わるようなことありません。
だってそりゃあそうです、海の者とも山の者とも分からない芸人同士が引っ付いたところで、そんなの外の世界から見たら目にも留まらない出来事ですから。
ところが…Wコロンはスタートから非常に恵まれた環境でスタートを切ることが出来たのです。
結成して2か月経った2004年4月から、文化放送の昼の帯番組『寺島尚正ラジオパンチ!』の中継レポーターに選ばれたのです!
コンビ結成2か月で、ラジオ番組の準レギュラーに選ばれるなんて、そうそうあることではありません。
スタジオにいらっしゃる寺島尚正アナウンサーから呼び掛けられて、出向いた中継現場から10分くらいその現場の様子や今後の告知などをお伝えするのです。
子供の頃から聴いていて、この世界に入りたいと思うキッカケとなったラジオで定期的にお仕事が出来るようになったのです…嬉しかったですねぇ。
とはいえ聴いているのと実際に喋るのは大違い。
生放送の中で如何に話を盛り込むか、画がないメディアであるラジオで音声を使ってどのように表現して行くか…ラジオのエキスパートである寺島さんから色んなことを教えて頂きました。
寺島さんはスタジオでこちらは現場、お会いする機会はなかったのですが…たまに番組が用意してくれた懇親会でお会いした時には本当に色んなアドバイスを頂き、それを血にし肉にせんとして、色々質問したことを今でも昨日のことのように覚えています。
寺島さんは私のラジオの師匠だと思っています。
寺島さんと接する私はとても従順だったと思います。
いや、寺島さんから見た私は生意気だったかもしれませんが…私は長年に亘り憧れのメディアであるラジオでずっと一線を走って来られた寺島さんは明確な目標でした。
そして…この気持ちが漫才協会の師匠方にも向けられていたのか!?
2023年07月13日