3月11日になりました。
PICTURE:SPECIAL THANKS マルベル堂
父ちゃんが愛するわが子4人に伝えたいことを綴ってます。
今日、4人に伝えたい言葉は…東日本大震災を振り返り、父ちゃんが今思うことです。
2011年3月11日14時46分、その時父ちゃんはたくみの幼稚園のお迎えに行き、ちょうどたくみの手を引いて家に帰ろうとしていた時でした。
今まで経験したことのない大きな揺れ、今まで地震が来て動いていた手が止まることはありましたが、直ぐに“これは違う”と思い、身の危険を感じたのは初めてのことでした。
一方、家に居た母ちゃんは…産まれて2か月のりくとを抱えて直ぐに家の中は危険だと感じ、同じく避難したそうです。
東京は震度5強。
普段家が揺れることがあっても、強くても震度3まで。
それだけでも普段感じる揺れよりも遥かに大きかったことが判ると思いますが…最大の震度は7だったことを考えると、如何に東日本大震災の規模が大きかったがよく分かります。
地震の被害は揺れによる家屋の倒壊だけじゃなく、それ以上に大きな被害をもたらしたのが…津波。
父ちゃんは地震の前の年、岩手県の久慈市、宮古市にロケやイベント出演で行く機会がありました。
そしてその時、1人で街をぶらぶらする時間もあったのですが…地震があった2か月後、再びロケで行った時のその光景は…今でも目に焼き付いて離れません。
ロケで乗った三陸鉄道は寸断され、大きな防波堤が真っ二つに折れ、出演した都の会館には張り紙がされていて立ち入り禁止になっていました。
周りの建物は軒並み津波で流されてボロボロになっていたり、あとは建物部分は流され、基礎だけしか残っていませんでした。
他にも陸に不自然に打ち上げられたボートやひっくり返った車もあちこちにある状況。
頑丈に建てられた筈の建物や、それなりの大きさや重さである車や船まで流される威力。
目の当たりにしていなくても…その状況を見ただけでも津波の威力を知るに充分の状況がそこにありました。
被災した男の子がこんな事を言ったそうです。
「ぼくも流されて、ママに会いたいなぁ。波になりたい」
涙が出て来ちゃうよね。
当たり前のようにお母さんと過ごしていた日々が…震度7の地震で、街を飲み込んだ大きな津波で…一瞬にして消し去ってしまったのです。
父ちゃん含め、津波を目の当たりにしていない我々は、事実としては分かっていても……正確には理解出来ていないように思います。
2011年に起きた大災害は東北を中心として起こりました。
これは君たち4人が住む東京でも起こり得ることです。
過去にこのような悲しい事実があったことをしっかり理解し、向き合うことがとても大切だと思います。
家族6人が揃って元気でいられることは当たり前ではありません。
だからこそ、平穏な1日が過ごせていることに感謝して、1日1日を大切に過ごして行きましょう。
そして…地震などに対する備えももう一度見直しましょう。
東日本大震災が大きな被害を残したことを伝えるだけに留めず、しっかり教訓としていくことも同じく大切なことだと思います。