いつも自分のブログで書いている記事を読んでくださる読者さんが、しっかりここで書いた記事も「神出鬼没」と言いながらも読んでくれることがとても嬉しいでででーさん(@d3_dayo)です!
これまでに「ブログをやっていて良かったな」と実感できる出来事や自然と身についたことは、本当に挙げだしたらキリがないほどあるように思いますが、今回はその中でも文字として記事にのっけて発信したい想いと言いますか、考え方について書いていきたいと思います。
さて、タイトルの「書くことと読むことは一番」について、念のため触れておきますが…「いちばん」ではなく「ひとつがい」を変換しています(笑)
ブログを始めて、まず最初にしたほうが良いことはなんでしょうか?ブログデザインのカスタマイズ?構想をじっくり練り上げること?それとも書くこと?
考え方は人それぞれだと思いますが、まあ、まずはとりあえず書いてみること・とにかく書いてみることなんじゃないかと私は思っています。ブログを書くプラットフォームに参加をする(登録する)だけでは何も始まりません。まずは文章やネタの精度なんかはとりあえず置いておいたとしても、「書く」という「行動」に意思を転化し自分のプレゼンスを出していかないと、何も始まらないだろうと思っています。
それこそ「精度」とか、"自分がブログにどんなキャラでのっかっていくのか?"や"ブログ自体の方向性"といった「構想」というのは後からいくらでも修正していくことはできますし、続けていく中でいろんな反応を頂いたりすることで自然と変化していくことは往々にしてあります。
私はそれを「進化」と呼んでいますが…とりあえず書いてみることを始めないで、いくら机上で「ふむふむ、こんなネタを書いていけばウケるだろう」なんて考えていても、実際に自分が書いてみた時には、自分自身がイメージしていた反応と周りからの評価には相当な乖離があるなんてことは「とてもよくあるある」でしょう。
そう、「進化」していくという観点でも「まずはとにかく四の五の言わずに書いてみて"体験"を重ねていかないことには始まらない」と思って、私は今も毎日記事を書き、そして18時という決めた時間にアップするようにしています(たまに30分1時間遅れる時はあるんですけどねΣ(´∀`;))
さてさて、まずはとりあえず書いてみること・とにかく書いてみること(意思を行動へと転化する)こういった、いわばイニシエーションのフェーズを過ぎたら、次にあるといい動作はなんでしょうか?ブログデザインのカスタマイズ?否、私個人としては「読むこと」だと思っています。
「読むこと」というのはもちろん、他のブログへ訪問して記事を高速スクロールして記事下にある、はてなで言えばスターとかブックマークを連打することではないですからね(笑)これは単にあいさつ回りと言います(笑)そうではなくて、ちゃんとしっかり「文章を読む」ということです。
書くことが「息を吐くこと」にあたるとすれば、読むことは「息を吸うこと」にあたると思うんです。吐き続けていたらやがて吸わないといけなくなる。
話は逸れますが…よく「吸って吐いて」と言いますよね?でも、スポーツする時なんかは吸うことを意識しているとスタミナが制御できなくなるケースって多々あります。例えば、かつてK-1でボブ・サップがブレイクした頃、今よりも打たれ強かったし非常に攻撃の破壊力がある厄介な選手ではありましたが、あの頃でも持久戦に持ち込まれると分が悪かった背景としては、「吸った息を吐かないために体力が持たない」という欠点があったそうなんです。
格闘技のことはよくわかりませんが、他のスポーツに置き換えると私もこれを経験しています。例えば、水泳なんですが、スタート前に一杯吸い込んだ息を大切に吐かないでいた結果、ゴール手前では軽い酸欠状態になってしまって、もうフォームはバラバラ(笑)
ところが、これは単に表現の違い・言う順番の違いでしかないのかもしれませんが「吐いて吸って」と言い換えるようになってから、私自身、スポーツでのパフォーマンスもよくなったものです(例えばランニングとか)まずは息を吐いてお腹をすっからかんにすれば、吸うという動作は本来「無意識」が勝手にやってくれます。それに息を吐くという行動は精神的に良い効果も促すようで、セロトニン、要は「幸せホルモン」が分泌されやすくなるらしいんですね。確かに逆の見方をすると、人は極度の緊張をしていると息を吸い込んで出さなくなりますもんね。
おっと!ちょっと脱線が過ぎてしまったので話を戻しますが、ある程度「書くこと」に慣れて、それこそ「書くこと」が息を吐くことのように日常動作として溶け込んでいくと、本来は自然と「読むこと」という次のフェーズへと移行していくものだとも思いますが…もし、現時点で書くことは日常動作になっているけど、なかなか自分がイメージしていたような反響が得られないとか精度が担保できないといったことに悩んでいる方は…これまで以上に「他の人の記事を読むこと」意識してみると良いのではないかと思います!
これは書くことに限らず、どんなスポーツでも仕事でも非常に大切なことだと思いますが、やはり他者の良いものは良い意味でどんどん「盗んでいく」一から十まで全て受け身になって教わるのではなくて、能動的に良いものは盗むということは上達・成長の秘訣だと思います。(盗作とかそういう意味の盗みじゃないですからね!スキルを模倣する、頂戴するという意味合いです!)
書くことに例えて言うと、毎日書くことで多少はスピードも上がりますし、なんとなく構成力も身についてくるとは思います。ただ、やっぱり語彙とか、いや、別に語彙は必ずしもなくてもいいと思うんですが、表現力みたいなものは書くことだけではなかなか得られないというのも事実だと思います。
書いて失った酸素の分まで、今度は読んで新たな酸素を取り込んでいくと、それまでとは違った表現力(違った空気)が生じるとも思いますし、いわば心肺機能も吐いて吸ってを繰り返すうちに鍛えられていくのだと思います。
いま、せっかく毎日ブログを一生懸命書いている人にとっては、「より多くの人に読んでもらえる」ということはモチベーションにとってもやはり非常に良いことなわけですが、ただ、やっぱり単に「日記」的なものばかりになってしまうと、なかなかより多くの人から読んでもらうということは難しいと思うんです。
それこそ、その人が超有名人なら読まれるのかもしれませんが、少なくとも私はたとえ書いた人が誰であろうと「今日はアンパンを食べました」内容が単にこれだけしかない記事だとしたら読まないでしょうねΣ(´∀`;)(たまにこういうのを出してくるのはトリッキーで面白いかもしれませんけどねww)
じゃあ、どんな記事を書いていけばいいのか?という答えは、もう、そこら中に本当無数に存在する数多くの無料で読めるブログの記事にいくらでも転がってるんですよね。
もちろん、ネタ自体をパクるわけではありませんよ。情報を収集する力やまとめる力、そしてそれを面白おかしく、時には真面目に表現する力、あとは集めたネタを自分の真なる言葉に転換して発想力などを頂戴してくるにあたっては、やはり人様の文をたくさん読ませて頂くことが最も手っ取り早い。
まずはとにかく書いてみること、これは基本中の基本だと私個人としては考えていることです。そして、同時に同じくらい読むことも同じくらい大切なことだと考えています。
そんな基本的なところへの意識を私に教えてくれたのが『ブログ』だったのです。
元々、ある理由で小さい頃から「小説」というものと縁深い環境で育ったので、気づけば読書という習慣はありましたが、それまでは何となく飲み込むだけで対となる吐き出すという行動がなかったので、飲み込んだものへの記憶や理解もエビングハウスの忘却曲線通りに薄れていったわけですが…
ブログを通じて、自分の生活習慣に「書く」という吐き出す動作が根付いた時、初めてそれまで飲み込んできたものがちゃんと胃の中で消化していくような感覚が芽生えました。本当、書いたら読むというこのフローが定着するといろいろと進化や成長はあるもんだなあと…今日はそんなことを改めて一人で考えていたので、ちょっと記事として書かせて頂きました!
長くなってしまったので、そろそろ終わろうと思いますが、「読む」という行動は自分の知識量増加とか技術向上とか、そういった観点を取っ払って考えてもいろいろ齎しますよね。
例えば、その人の書いた読み物を読んでおけば、いちいち杓子定規なやりとりをしなくても、ある程度はその人自体のことや近況なども把握できますし、だから私は興味がある人が書いた読み物はとりあえず、まず読んでみるんですが…お互いのコミュニケーションを円滑に進めていく上でも、相手の読み物をしっかり読んでおくという動作はこれまでけっこう役立ってきたと思いますし、それが相手への配慮だったり想いを行動で示す結果にもなるんじゃないかなあと思ったり。
最後になりますが、ブログを通じて「書くこと」そして「読むこと」の大切さを教わったので、私はこれからも双方のバランス感覚よく、この動作を続けていきたいなと思っています!
以上、でででーさんでした!