
「昨日より今日はもっと×2!素敵」BLOG(イケてる大人計画)にアクセスありがとうございます!
D (ディ) です
それではこのブログに遊びに来て下さった皆様へ、
みなさん明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします 🐓
今日! 1月1日は、言わずもがな、
のはじまりですね
この場で日頃の感謝の意味も込めて、ご挨拶させていただきました♪
それでは早速本題に入りますね!
1月1日はジャンヌ・ランバンが産まれた日なのだ!! 娘のために仕立てたドレスが...洋服をもっと×2素敵!に!
みなさんもきっと、母娘が手を取り合っているこの愛あるロゴを、
1度どこかで見たことがあるかと思います。

引用(http://www.pequenasjoyas.com/2014/01/lanvin-y-sus-125-anos-de-historia.html)
もうお気づきかもしれませんが、
タイトルの「ジャンヌ・ランバン」さんとは、LANVINの創立者様なんです!
そんな偉大な ジャンヌ・ランバンさんは、150年前の今日 生誕!
僕がジャンヌ・ランバンさんの生い立ちなどを知ったのは、
Wikipediaでもなく・・・、
教科書でもありませんでした!!
実は、LANVIN プレスの O様が教えてくれたんです。。
あれは...昨年の3月、僕がまだ学生で、初めてパリコレに行った頃ですね。
右も左も分からず、ただがむしゃらだったあの頃の僕に手を差し伸べてくれたのは、O様でした。
O様は、LANVINのパリ展示会にご招待してくれたんです!
展示会では、コレクションに出たばかりのお洋服に触られたり、
2016年AWのブランドコンセプトなどを説明してくれたり、、
回顧展のことも教えてくださりましたよ!!
僕も素敵なコートを着させてもらいました〜🌟
そして、
O様のジャンヌ・ランバンさんについてのあつ〜いお話は、今でも覚えています!
元々ランバンさんは、帽子屋とおっしゃっていました。
そして、ランバンさんが22歳の時、娘マリーのために、ゴールドのボタンがついた
ブレザー、フリンジをあしらった白てんのコート、
柔らかなフォルムの袖無しワンピースなどを縫い上げたそうです。
そして、なんと!
ランバンの娘さんを見た、帽子屋の顧客達が、
自分の娘にも造って欲しい!!と、注文が殺到していったそうです。
それからは自然と顧客から婦人服の注文が舞い込むようになり、
やがて若い女性向けの、イブニングドレスなども手掛けるようになり、
本格的にレディースウェアーに参入していったそうです。
それがLANVINの始まりでした。
娘のために作った、愛ある洋服がランバンを導いてくれたんだな〜、とすごくLANVINのことが好きになったのを今でも覚えています!
O様、本当にありがとうございました!
皆さんにも、今日1月1日が、
いえ2017年に愛あるお導きがありますように。
ご一読下さり、ありがとうございました。
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~~~~~~追記~~~~~~
昨シーズンから、LANVIN・レディースウェアーのデザイナーが、
アルベール・エルバスさんから、ブシュラ・ジャラールさんに変わりました。
ブシュラ・ジャラールさんは、ジャンヌ・ランバンのアーカイブ・ピースをベースとしたデザインだと、10月の展示会でO様が教えてくれました。
今は亡きジャンヌ・ランバンさんですが、もしかしたら、彼女の愛あるファッションの面影を見ることが出来るかもしれませんよ。
ジャンヌ・ランバンについて
ジャンヌ・ランバンは1867年1月1日、パリ6区マザリヌ通り35番地に、コンスタン・ランバンとソフィー・デエの間に生まれた。彼女は11人兄弟の長女で、地元のフェリックス婦人用帽子店の見習いとして16才で働き始め、スザンヌ・タルボットのドレスメーカーで、1889年にフォーブル サントノレ通りでランバンが有名になるまで修行を積んだ。 1895年、イタリア貴族のピエトロ伯爵と結婚し、2年後にマルグリートが生まれた。マルグリートは後にオペラ歌手として活動しポリニャック伯爵と結婚、ジャンヌの死後に彼女の店のファッションディレクターを務めた。
ランバンは1903年にピエトロ伯爵と別れ、1907年にレ・タン紙のジャーナリスト、グザヴィエ・メレ(Xavier Melet)と結婚した。グザヴィエはイギリスのマンチェスターの領事を後に務めた。
1909年、高級婦人服市場に乗り出し軌道に乗り始める。彼女が娘のために仕立てた服が注目を集め、裕福な家庭から子供のために同じ服を作ってほしいと依頼を受けた。ヨーロッパ中の顧客にフォーブル サントノレ通りの新しい店が知られることとなった。1923年ナンテールに染色工場を建て、1920年には服飾、毛皮や下着などを扱った店を開いた。しかし彼女の生涯で重要なことは、娘マルグリートがピアノの練習をしていた時、その音に触発され作った香水、1924年のランバン・パルファムSAと1927年のランバンのサインを入れたフレグランス、アルページュの開発であった。
ランバンは1922年にフランスのデザイナー、アルマン・アルベール・ラトゥーに彼女の住まいであり仕事場であるアパートメントの再設計を依頼した。(1985年にリビング、婦人室、バスルームはパリ装飾芸術美術館に移築された) 二人は親友になり、ラトゥーはアルページュ用に香水 La Boule の球状の小瓶をデザインし、ランバン=スポーツのマネージャーを担ってランバンを助けた。また、ラトゥーは通りの本店のデザイン管理(1920年インテリア・デザイン部門設立)も兼ねた。
デザイナー、ポール・イリブが1907年に手掛けたアルページュの瓶にはランバン親子の肖像が刻印されている。